愛と慈しみの心とは? - ヴィパッサナー瞑想の体験

去年の暮れから今年にかけての年末年始ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに4年ぶりに参加した。時が経つのは本当に早いものだ。
ヴィパッサナー瞑想とは10日間、ジェスチャーを含めて一切のコミュニケーションをとらず、本も 読まず、文章も書かず、音楽も聴かず、ただひたすら瞑想を1日およそ10 時間をするコースだ。仏陀が悟りを啓いた瞑想だ。
仏陀は私たちが一般に知るような哲学や戒律を語っただけではなかった。このコースを受けて、実は仏陀が教えた最も大切で重要なことはこの瞑想法だったのだ。たいていの人にとって、戒律の「~してはいけない」などは煩悩があって、そんな簡単に守れるものではない。というより、不可能だろう。
しかし、仏陀はこの瞑想法によって、自然と無理なく、そうゆう人間、心に成るための心を浄化する方法を教えていたのだ。それはとても目が鱗が落ちるような驚きだった。仏陀がなぜ、仏陀と呼ばれ、2500年も偉大な人として名が残っているのがよくわかった。
こんなことをして、一体何の意味があるのかと普通は思ってしまうがそれは、私にとって、大変だが毎回必ず大きな実りを与えてくれる素晴らし いものだ。
今回は今までとはまた、違った大きな気づき。しかし、微かな体験があった。それは「愛と慈しみの心」とは何かということだ。よく、このコースの講話の中で「愛と慈しみに溢れた心で」というのが出てくる。
今回の経験をするまで、それがどんなことなのか自分が全く理解していなかったことがわかった。今もまだ、その片鱗に触れただけだが。10日間の瞑想中、ほんの一瞬の一回だけだったがその心を感じることができた。その瞬間、とても微かな感覚だが心の温かみと普段経験したことない幸福感、色んな人への心からの感謝の気持ちに包まれた。そのとき、初めて、「愛と慈しみの心」の本当の意味の片鱗を知ることができたと思った。
この経験をして思ったことはマザーテレサ、キング牧師、ガンジー、キリストなどの聖人と呼ばれている人たちは常人では考えられないようなとても大変なことをしているようで実は、苦労がありながらも、普通の人には想像もできないような至福の幸せの中に生きていたのかもしれないということだ。
一般に普通の人はそんな欲望を満たせずに禁欲的な生き方などできないし、したいとも思わないが実はその行き着く先はどんな世俗的な快楽よりも遥かに幸せな世界なのだということがわかった。とは言っても現世的な楽しみももっと味わいたいし、そんな修行は生涯かけてゆっくりしていくことだが。
性善説、性悪説というのがあるが瞑想を通して、心を浄化していくと性善説の意味がとてもよくわかった。そんな体験がなければ、どっちかはわからなかったし、この世界を見ていると、性悪説なのではないかさえ思ってしまうが実は人間の本性は善なのだ。
清く正しくなんて、生きていると一見損をしているように思えること、見えることもあるが、本当に正しい心をもってその道を進み、その先には物質的ではない、内面の真の幸せがあるのだ。ついついサボってしまうが日々、瞑想を続けていきたい。
参加費は完全なドネーション(寄付)なので、時間さえあれば誰でも参加できます。ぜひ一度参加してみてください。人生で一度くらい10日間しゃべらない体験をしてみるのも面白いですよ。
日本ヴィパッサナー協会 http://www.jp.dhamma.org/
京都のヴィパッサナーセンター・ダンマバーヌ
ダンマバーヌ

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