カテゴリー別アーカイブ: スピリチュアル・自己放棄の道

人生で起こることにはすべて意味がある。

人生では様々な出来事起こる。

辛いことも、楽しいことも、
困難なことも、幸運なことも。

辛いこと、障害、困難に直面すると
なぜ、私にはこんなことが起こってしまうのだろうと考える。

みんなはもっと幸せそうに、
楽に生きているのにと思うことがある。

困難、障害に直面した時、
「私は人生で起こることにはすべて意味がある」
と自分にいい聞かせている。

「この出来事は私に何を学ばせていようとしているのだろうか?」
「この出来事にはどんな意味があるのだろうか?」
「私が変わらなければいけないのはどこなのか?」
と自分に問うている。

なかなかすぐには答えは出てこないことも多々ある。

人生で起こった困難な出来事も
振り返ってみれば、あの出来事が自分を成長させたんだ
あれがあったから今の自分があると思うことは
どんな人にも一つや二つあるだろう。

その出来事の学びに気づくのが
10年後、20年後という場合もあるだろう。
人によっては、晩年になってから、
もしくは死ぬまで気付けないこともあるだろう。

でも、いつかはその出来事の真の意味を理解し、
成長し、感謝できるときが必ずやってくる。

それがいつやってくるかだ。

積極的に人生に現れた課題に
取り組めば取り組むほど、
それは飛躍的早く気づきを得ることができるだろう。

10年たってやっと気づけたことが
1年後に気づけるかもしれない
もっと早く1週間後に気づけるかもしれない。
真剣に自分自身と向きあったら、
今、気づくことができるかもしれない。

どれだけ自分の人生に与えられた課題と
真剣に向き合うかで
気づきを得られる時間が大きく差が出てくる。

真剣に向きあえば向き合うほど
早く人は成長できるようになるだろう。

そして、より早く幸せに感謝と共に生きられるようになる。

日々、瞑想をしたり、心の浄化をしていると
気づきを得るまでの速度は飛躍的に早くなる。

心の中に怒りや不安、執着が強いほど
気づくには時間がかかる。

心を穏やかにして、平静な心でものごとを
見つめられる力を高めれば高めるほど
この世界は、この宇宙は様々な気づきのメッセージで
溢れていることに気づくけるようになる。

それは直感かもしれないし、
他人のちょっとした言葉かもしれないし、
自然からのメッセージかもしれない。
この世界は気づきのメッセージで溢れている。

この世界はあらゆる手段を使って
私達に気づきのメッセージを伝えようとしている。

それにいかに早く気づけるかは
私たちの心がどれだけクリアかだ。

怒りや不安は執着は心のノイズだ。
ノイズが大きければ大きいほど、
心は混乱し、本当のことがわからなくなる。

心をクリアにしてくことで人は
飛躍的に早く色々なことに気づき、
成長していくことができる。

今、私達に起きている出来事にはすべて意味がある。
その意味をに気づいた時、発見した時
大きな成長がある。

課題が大きければ大きいほどに
その意味がわかったときの気づきと成長は大きい。

そして、感謝の心が生まれる。

この世界はいつも私達に気づきのメッセージを伝え、
成長と喜びを与えてくれる。

人生で起こることに意味のないことなど一つもない。
人生で起こることにはすべて意味があるのだ。

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最後まで読んでくれてありがとう!

たくさんの人とのツナガリをもって、
生きるの智慧の学びを深めていきたいと思っています。

ご意見、ご感想、ご質問など気軽にコメントください。

批判すること、批判されること

私はいつの頃か忘れたが、他人を批判することの一切を止めることを意識した。それは身近な人だけでなく、テレビに出てくる人たち、政治の世界などへもだ。
そして、日々瞑想をして、心を穏やかに批判の元になる怒りを消失させていくと本当に大切なものは何かということが見えるようになってくる。批判していた時は、自らの心が怒りによって支配され見えなかったものが見えてきた。
その中で気づいたこと。他者を批判しているとき、自分は相手より正しいのだと思っている。しかし、それは冷静に自分自身を見つめられるようになってくると全然そんなことはないんだと気づく。
批判している自分とその相手は同じ次元、同じ世界に生きている。例え、もし、正しかったとしても相手への思いやりや寛容さが欠け、自分の主張をしていただけだった。批判するものと批判されるものは傍からみると同じなのだ。
そして、人は他人を批判するとき、優越感に浸ることで少しの快感を得る。だから、人は人を批判するのだろう。しかし、それは表面の意識だけであって、実は更に深い潜在意識では、苦しみをどんどん増やしている。自分の心にナイフを突き刺しているようなものだ。そして、相手にも、直接批判しているわけではないが周囲の人たちにも不快な思いをさせる。
批判することで人は刹那的な快楽を得るが、実は自らの心を苦しめ、周囲との関係を破壊する。知らぬ間に人は離れていく。他人を批判することは、自らの人生を破壊しているのだと思う。他者を批判することで一見得ていたと思っていたものはすべて幻想だったのだと思う。
人を思いやるならば、時に本当のこと、事実を伝えることも必要だ。でも、それは批判することとは全く違うものだ。
批判することを止め、心を本当に穏やかにしたとき、大切なものが見えてくる。その時、相手の世界観への理解と敬意が生まれる。批判していた人たちもそれぞれで自らの自我に囚われ、苦しみの中に生きているのだと思えるようになる。
批判することに使っていた内にある怒りのエネルギーを建設的な方向に使えるようになると情熱や集中力となる。怒りを手放した時、その強力なエネルギーは人生を情熱的に自由に生きる巨大な力となる。怒りを手放した時、本当の人生が開けてくる。
まだまだ、私自身、ふっとした時に批判的な自分がむくむくとわき上がってくる。日々瞑想することで心の中にある怒りの火種を消滅させ、もう一段高い次元へと成長していきたい。
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占星術で批判的な思考に支配されやすいのは火星の影響力の強い人たちだ。影響力が強いのは1室、月、太陽、1室支配星に火星の影響を受けているホロスコープだ。
火星支配の星座や火星が高揚する山羊座、金星が減衰する乙女座も批判的な傾向が強い。ただ、今まで見ている例だと、しし座ラグナでは、9室を支配し、1室に在住するしし座の火星はその要素があまり感じられない。また、木星のアスペクトがあると大幅に緩和されるようだ。どんな特徴も総合的に見ることが大切だ。

「小我を捨てて、大我に生きる」

今日は自己啓発の無料講座を聞いていた。
その中でとても印象的な言葉があった。
「小我を捨てて、大我に生きる」
お釈迦様の言葉。
この講座の中では、
自己中心的な小さな我(エゴ)を捨てて、
人のために、社会のために働きなさいということを言っていた。
占星術家はこれを当然のこととしてできないといけない仕事だ。
でも、そうはいっても、毎日瞑想をしていても
すぐに小我にまみれてしまう。
でも、瞑想して心がすっきりしているといつも思う。
心が浄化されて一時的にでもエゴが少なくなり、
心が満たされ、平安のさなかにいると
お金とか、地位とか名誉とか、
エゴを満たそうとする欲望なんてどうでもよくなる。
むしろ、それを欲しいと思っている時の自分って
なんて満たされていなかったのだろうと思う。
人は本当に心が満たされている時、自らのためではなく、
人のために何かしたいと思うし、
人のために何かすることが喜びと自分自身の幸せに変わる。
無私の心なんて、小我に生きている時はただの偽善に思えるけど
大我の中にいる時、それは偽善でも何でもない。
自分のエゴを満たす時、人は刹那的な幸せを感じる。
そして、いつも人は一瞬の幸せを追い求める。
エゴを捨てた時、人はエゴを満たすより遥かに大きな喜びと幸せを得る。
小我と大我を行ったり来たりする日々、
日々瞑想をして、大我の中で生きられる人間に成長していこうと思う。

一つの努力を継続することの大切さ

最近、コーチングを学ぶことにはまってます。
自分の可能性を限りなく高めていく。
占星術とコーチングを通して自らが成長し、
より多くの人の精神的な成長のお手伝い
社会に貢献していけたらなと思います。
最近、読んだ本『未来記憶』にとってもいいことが書いてありましたので
ちょっとご紹介したいと思います。
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毎日、自分自身が昨日の自分より0.1パーセントづつ成長しようと努力したとしましょう。
すると、1年後には、1.4倍の自分になることができます。
それでも、飽きることなく、5年間続けられたとしましょう。
すると、5年後には6倍の自分に成長しています。
そして、それでもまだ飽きることなく10年間成長し続けたとすると、
10年後には38倍の自分自身になっていることができるのです。
もし、0.2パーセントづつ成長したなら、10年後には1466倍の自分になれるのです。
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以下に日々の努力、そしてそれを継続することの大切か
ということがよくわかって私は納得でした。
日々の変化、成長は小さなものでも
たゆまぬ努力を続ける人は大変な成長ができるんだなと思います。
才能とは生まれ持った能力も大切だけど
それ以上にいかに一つのことに続けていくか、
努力していくかにあるんだと思います。
インド占星術で多くのホロスコープを見ていくと
成功者は必ずといっていいほど、努力の3室や6室に凶星の絡みがある。
日々、たゆまぬ努力をして、精神的に成長していきたい。

「あきめる」と「あるがままを受け入れる」の違い

昔、本を読んでいて、「あるがままを受け入れる」ということが書いてあった。
その頃はその意味がよくわからなかった。
長年、ヴィパッサナー瞑想をしてきて、やっとその意味が少しづつ理解できるようになってきた。
「あるがままを受け入れる」それは一見、「あきらめる」ことと似たように思ってしまうが
それは全く違う、というより逆なんだなと思うようになった。
「あきらめる」というのは悲壮感に包まれ、問題があることもしょうがないと思う。
問題があることを否定的に捉える、感じることなんだと思う。
「あるがままを受け入れる」というのは全く逆だ。
この世界にさまざまな問題があることを受け入れる、認める。
しかし、だからといって悲壮感に包まれて、諦めているわけではない。
問題はあるがこの世界はそれでいいんだと思える。
だからといって、その問題を解決しようとしないわけではない。
この世界では良いこととも悪いこともすべてに意味がある。
この世界に対してとても希望に満ちた視点で世界を見られる状態。
どんなことがあってもすべてに意味がある。
そして、それに対してあきらめることなく、
前向きに捉えて変革して行こうとするエネルギーが内から沸き上がってくる。
それが「あるがままを受け入れる」という状態なのかなと思う。
そうゆう風に思えるとホントに気持ちは楽になるし、
ものごとは良い方向に進んでいく。
より深いレベルでいつでも、「あるがままを受け入れられる」
そうゆう人間になれるように努力していきたい。

幸不幸の選択

いつどこでどんな時代に生まれても
幸せに生きる人は幸せに生きるし、
不幸に生きる人は不幸に生きる。
否定的な思いが心の中に渦巻いている限り幸せになりようがない。
否定的な思いを手放したら不幸になりようがない。
幸不幸は私達の心がどんな思いを描いているかによる。
心が愛と感謝に満たされている人になれたら
どんなことがあろうとも幸福な人生だろう。
私達には選択肢がある。
どちらを生きるのか。

人生を変えることは自分が変わるということ

多くの人は苦しみや悩み、病気が起きた時、「いかにしたら」解決できるかを考える。しかし、本当に大切なことは「なぜ?」だと思う。原因があって結果があるのだから。「なぜ?」を問い、自分を深いとこで見つめ、自分自身を変えることをする。それが出来る人は、人生は歳を重ねれば重ねるほど、良い方向に幸せなものに変わっていく。
「いかにしたら」で考える人はとりあえず自分が変わることではなく、結果だけを良くしようとする。苦しみから逃れるために、ストレス発散してくれるものを求めたり、表面的な解決法を探す。そうゆう人は深い部分で自分に問題があることから逃げたい、認めたくないのだと思う。そうするといつまでたっても問題は解決しないし、病気なら病気はよくならない。歳を重ねるごとに人生は辛いものなってゆく。
人生を良くするために大切なことは「なぜ」を問うことだと思う。原因を見つけて、それを素直に受け入れ、今までの自分を手放すこと。苦しんいる人ほど、自分が変わることを拒む、自分が変わることを拒むから苦しむのだと思う。自分が変わることを素直にできる人は幸せになってゆけるのだと思う。

人はなぜ、他人を傷つけ、自然を破壊し続けてしまうのか。

人はなぜ、他人を傷つけ、自然を破壊し続けてしまうのか。
それは私たちが、前世、今世で色々な経験によって心が傷ついているからだと思う。
本当は人を傷つけることは自らを傷つけることなにの
自らの傷が深いがためにそれに気づけない。
人は怒りや欲望によって、身近な人達を傷つけてしまう。
その傷ついた満たされない気持ちを満たそうと
地球の仲間たちを傷つけ、資源を浪費し続ける。
環境破壊の深い原因は私たちの満たさなれない傷ついた心にある。
瞑想により心を見つめ続けてゆくと
人を傷つけるようなこと、否定的な感情を抱いた瞬間に
自らの心を傷つけていることがわかる。
人は否定的な感情や思考によって、人を傷つける前に自分自身を苦しめる。
その心の変化を感じられるようになるにつれて、人を傷つけることは少なくなってゆく。
自らの心を浄化することは根源から世界を変えてゆくことだと思った。

すべての原因は私たちの心の中に・・・。

人生には様々な困難や苦しみ、喜びと幸せがある。
多くの人々は苦しみの原因を外に求め続け、現実を受け入れようとはしない。
望むことは起きず、望まないことが起き続ける。
夫が、妻が、あの人が、上司が、環境が、過去生のカルマが・・・。
と原因を外の何かに求めようとする。
人のすべての苦しみの原因は私たちの内面にある。
私たちの心の中にあるものに原因がある。
ほとんどの人はそれがわからない、認めたくない、受け入れられない。
苦しみの原因は外の誰かや環境やモノでない。
人は外の世界の現実を受け入れ、自分の内なる世界の現実を受け入れたときに
初めて、精神性の向上による幸せへの道は開かれる。
すべての出来事には原因があり、結果がある。
今の自分を苦しめている原因を断てば、苦しみは自ずと消えてゆく。
そして、自ずと幸せな人生への道が現れる。
・・・・と思っても、自分の内なる原因を消すことはとても難しい。
インド占星術とヴィパッサナー瞑想をを通して、自己を見つめていく中で
すべての苦しみの原因は内にあるという理解が少しづつ深まってきた。
そして、自分の内なる原因を消滅させたとき、
宇宙は必ず、「深い心の安らぎ」と「喜び」と「感謝」というとっておきのご褒美をくれる。
その度に苦しみの原因は内にあるという確信が深まってゆく。
「苦しみの原因を外に求めることをやめよう」と私は思う。