新生児取違え事件の検証

今回は1ヶ月ほど前に話題になった新生児取り違え事件のホロスコープを取り上げたいと思います。

講座の時に生徒からこの違いを教えて欲しいと言われ、分析しました。正直この違いが果たしてインド占星術で区別できるのだろうかと思いました。いつも、理論的には双子でもその違いを区別できると話していたのですが、なかなかそんな実例はなく本当の意味で確信がありませんでした。

今回のケースは、インド占星術的に大変興味深い事例です。そして、これが如何にインド占星術が緻密な占星術であるのか証明する事例でもあります。さてさて、その違いをインド占星術で区別できるのか。実際にしてみるまで恐る恐るでしたが、分析してみた結果は、驚異的なものでした。この違いを見事に説明することができました。

Aさん、貧しい家庭で育って苦労した男性(1953年3月30日 19:17 東京都墨田区)

貧乏な家庭で育ったAさん

Bさん、裕福な家庭で育った男性(1953年3月30日 19:30 東京都墨田区)

裕福な家庭で育ったBさん

この2人のホロスコープは出生図に関しては全く同じです。違いはアセンダントが貧しい家庭で育った男性の方がより土星に近い度数にあるということです。出生図だけを見ていてはこの2人は同じ人生を歩むということになってしまいます。

しかし、事実は全く違う人生を送っています。それではその違いはどこに現れているのでしょうか?出生図の次にとても重要視されるのは第9分割図のナヴァムシャです。

これは従来、晩年によく作用する、潜在的な力を表していると言われています。しかし、この実例では見事にこの2人が全く違う人生を歩むことがナヴァムシャに表されています。ナヴァムシャの違いはAさんは天秤座アセンダント、Bさんは蠍座アセンダントというだけです。

アセンダントが違うだけでなぜ、これほどまでに大きな違いがあらわれているのでしょう。

Aさんのナヴァムシャの特徴

まず、Aさんを見てみます。Aさんのアセンダントは天秤座で土星が在住しています。土星はラージャ・ヨガ・カラカとなり、4室と5室を支配していますが、それでも土星は試練を耐えるという意味では変わりません。特に土星は高揚しているのでより過酷な環境に生まれることを意味しています。

そして、土星は自己否定感、不安、固定観念、安定志向が強く、なかなか社会的に成功するための思考をしずらい惑星です。そのため、基本的には社会的な地位という意味では一般大衆になりがちです。

土星の責任感が強く、地道な努力家、完璧主義が最良の形で現れれば社会の中で大きな成功もする惑星にもなりえます。実際、社会的に大きな成功をおさめる人は必ず土星の影響が強い傾向があります。苦境に飲まれてしまうか、それをバネにして生きるかはその人次第です。

Aさんの1室の支配星は9室に入り、ラーフとコンジャンクションしています。ラーフもインド占星術ではアウトカーストを表す惑星で、社会的な地位は高くならない惑星です。

また、9室は精神的な成長のハウスです。精神的な成長をするにはとても良いハウスです。しかし、仕事の10室から12室目で仕事を失うハウスでもあります。精神的な成長に向かうという意味では良いですが、社会的な成功という意味では期待できない配置を表しています。

Bさんのナヴァムシャの特徴

一方、恵まれた環境が与えられ、不動産経営者という社会的な成功をしているBさんは太陽と火星が1室と10室で星座交換しています。太陽は王族を表す惑星で現代ではリーダー、経営者を表す惑星です。

そして、火星は戦士であり、これもリーダーの惑星であり、社会の中で支配的な立場になることを表す惑星です。1室の支配星は獅子座に入り、リーダー的な生き方や考え方をすることが示されています。

それに加えて1室の支配星は10室に入り、仕事が人生の中で重要なテーマであることも示されています。そして、1室と10室の結びつきは生涯に渡る成功を示しています。


ホロスコープを検証していくと、境遇は裕福な家庭にいった方が良かったように思うが、本当にどちらの人生が良かったのか、幸せだったのか考えさせられるものでした。

このように今回の例でナヴァムシャは人生の始めから重大な影響を与えていることがわかります。ナヴァムシャのアセンダントまで特定することは事前に過去の情報を得て、検証が必要で、実践的に使うことは容易ではありません。

しかし、本当に高い精度のリーディングをしようと思うならば、ナヴァムシャのアセンダントまで特定する正確な時刻修正が必要であることがわかります。今回のことでインド占星術の精度がいかに高いか身にしみて理解できました。


 

新生児取り違え:60歳男性「生まれた日に時間を戻して」
毎日新聞 2013年11月27日 

 「違う人生があったとも思う。生まれた日に時間を戻してほしい」。東京都墨田区の病院で60年前、出生直後に別の新生児と取り違えられ、東京地裁で病院側の賠償責任を認める判決を勝ち取った都内の男性(60)が27日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、揺れる思いを吐露した。

 男性は1953年3月に出生。13分後に生まれた別の新生児と、産湯につかった後に取り違えられ、実母とは違う女性の元に渡された。育った家庭では、2歳の時に戸籍上の父親が死去。育ての母親は生活保護を受けながら、男性を含む3人の子を育てた。6畳アパートで家電製品一つない生活だったが「母親は特に(末っ子の)私をかわいがった」と振り返る。「この世に生を受けたのは実の親のおかげ。育ての親も精いっぱいかわいがってくれた」。既に他界した4人の親への感謝を口にした。

 男性は、中学卒業と同時に町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。今はトラック運転手として働く。

 取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営。実の弟3人は大学卒業後、上場企業に就職した。

 兄弟で「長男」だけ容姿が異なることから、3人の弟が2009年、検査会社にDNA型鑑定を依頼。血縁関係がないことが確認された。その直後から実兄捜しが始まり、病院の記録を基に11年、男性を捜し当てた。

 「そんなことあるわけがない」。男性は取り違えの可能性を告げられた時、最初は信じられなかった。だが、育ての母親が兄たちと足の指の形が違うことに触れ「誰に似たんだろうね」と笑ったのを思い出した。

 今は実の弟と月に1度飲みに行き、育った家庭の兄の介護をする日々だ。だが、実の両親との再会はかなわなかった。「何もお返しできなかった。生きて会いたかった。写真を見ると涙が出る」【川名壮志、山本将克】

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