カテゴリー別アーカイブ: スピリチュアル・自己放棄の道

ニーバーの祈り

久々の日記更新です☆
先日、読んだ本にいい言葉が載っていたので、
自分自身の心のためにもご紹介します。
        ☆
神様、私にお与えください
 変えられないものを受け入れる落ち着きを
 変えられるものを変える勇気を
 そして、その二つを見分ける知恵を
            ラインホルド・ニーバー

愛とは何か? ☆ 愛欲 – 愛情 – 愛 ☆

昨日、一昨日と東京のお寺で行なわれた
あわのほしまつりというのに参加してきました。
そこで愛とは何かというトークセッションがありました。
愛とは人類の永遠のテーマ。
なかなか解りやすく、興味深い考えがあったのでご紹介します。
  ☆ ☆ ☆
愛には三種類があります。
愛欲、愛情、愛
『愛欲』とは自分100%、相手0%
『愛情』とは自分50%、 相手50%
『愛』 とは自分0%、  相手100%
さて、あなたの愛はこの三つのどこにありますか?
あなたの愛は本物の愛ですか?

「原因」と「結果」の法則

7年前、初めてインドを旅して、カルマの法則なるものを知った。いろいろな人に話を聞き、本を読み、心から受け入れられるようになるのに数年の時間がかかった気がする。受け入れられるようになると、この人生を幸せに生きようと思ったら、これほど大切な宇宙法則はないと思う。
カルマの法則をすっごく簡単に言うと「自分のした行為が良いことも悪いこともすべてそのまま返ってくる」ということだ。これには前世からの行いも含む。要は自分の人生の今の幸も不幸もすべて自分に原因があるということだ。
カルマの法則というと宗教っぽいとかインドっぽいとか、喜んで受け入れる人となんか毛嫌いする人がいると思う。このことをすっごくわかりやすく書いた素晴らしい本に最近出会った。
「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン著
カルマの法則を多くの人が受け入れやすい形、表現でとてもわかりやすく書いてある。すべてのことには原因があり、その結果があるということだ。偶然というものはなく、すべては必然のできごとだということ。人生で経験するすべてには自分に責任があるということ。
原因と結果の法則というものをいつも考えに入れて生きていると、すべてのことを誰か他人のせい、環境のせい、運が悪かったなどとう風には考えなくなる。誰か、何かのせいにするということはある意味で楽なことなのだ。自分自身の責任ではなくなり、逃げることができるからだ。しかし、それはただその場しのぎにしか過ぎず、ただ単に問題を先延ばしして、自分自身を苦しめる期間を長引かせているだけなのだ。
すべて自分自身の責任である。それはある意味では厳しいことなのだが、正しい認識を持って見れば必ず原因があり、結果がある。だから、原因を理解し正せば、必ずその問題は解決されるということになる。それは本質的な解決であり、極めて救いとなる法則なのだ。そして、正しい行いをすれば、必ずそれに対する報いはあるということだ。
そんな意識で日々、自分の心に意識を向けて過ごしていると、最初は病気になったり、嫌なことがあったりすると、前世のカルマかなとか考えたりする。それである意味自分自身の責任として、ある意味、前世の自分のせいにして逃げている部分もあったのだ。最近わかってきた気がする。
前世のカルマというのは間違いではない。しかし、実は正確には前世のカルマによって形成されている自分の性質や癖が原因で起こっているということだと思うのだ。自分のその性質や癖を直す、原因を正せば、そのとき心は穏やかになり、その苦しみから解放され、平和がやってくるのだ。
最もわかりやすいのは病気だ。食べ物と心に主たる原因がある。遺伝的に特定の病気になりやすい人、体質の弱い人はいるだろう。しかし、生まれもって病気になるなどという人はほとんどいないと思う。それはとても受け入れ難いことだがほとんどは自分に原因がある。
なぜそんなことが言えるかというと、自分がアトピー体質であったことから言える。自分は弱い体質で、アトピーになるのはしょうがないことだと思っていたが、治してしまえば、明確に自分自身に原因があり、それが分かった以上もう二度となることはないということがわかった。そういった自分自身の体験から思うのだ。
治らないのは原因をつきとめることができていなかったり、原因となることを受け入れられないからだ。たいていの苦しみの原因は自分自身に受け入れ難い、自分自身の問題にある。自分の食べ物の癖や習慣、心の癖や習慣。これを正せば、ほとんどすべての肉体的な病、精神的な病は治るだろう。生活習慣病はもちろん、多くの感染症ですらそうだろう。
病気に限らず、自分自身に起こるすべての問題は自分がまだ気付いてない、受け入れられない自分自身の性質によるものなのだと思う。自分を幸せにするもの不幸にするもすべて自分次第なのだ。すべてのものごとには、原因があって結果がある。
最後に『「原因」と「結果」の法則』の本から。
心は、創造の達人です。そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、みずから生み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。
                                     ジェームズ・アレン

生きる目的。人生はすべて自己計画!?

今日は、病み上がりにのんびりと飯田史彦さんの本でも読んで見ました。「生きがいの催眠療法」という本です。なかなか面白く、思わず鳥肌が立つような衝撃や涙が出てきそうな話もありました。その中で、興味深いものがあったので紹介します。
この本は簡単に言うと、退行催眠を通して自分の過去、過去世を振り返ることによって、原因を知ることで人を癒す療法です。その中で生と生の間、私たちが魂の状態のときの記憶を辿る中で光の存在との対話があります。それについてまとめられた本です。なかなか興味深い輪廻転生の科学的研究!?です。
光の存在とは「宇宙」のことです。その人の宗教観によって、姿を変えて現れるそうです。
光の存在は「生きる目的」について次のように語っているそうです。要約すると
「人を愛し、自分を愛し、愛について学び成長すること。最終的に光となり、一つになること」が私たちの目的だそうです。
そして、今世でのすべてのことは、どんな苦悩、困難も病気も自分たちで成長するために計画してきたことだそうです。そして、どんな苦しく順調に進んでいないような状況にあっても、すべては私たち自身が計画してきたことなので、すべては「順調」なのだそうです。
これも自分で計画してきたと思えば、気持ち的に楽になり、より前向きに生きるのにはいい考えかな。
科学好きで、盲目的に信じることを好まない自分にとってなかなか興味深い本でした。人生の目的に悩んだり、生きるのに疲れたときに一度読んでみると癒されるかもしれませんね。
「生きがいの催眠療法」 飯田史彦・奥山輝実 共著 PHP出版

存在するだけで人を癒す人・・・・アマチ

アンマ
今年もアマチのダルシャンに行ってきた。
やっぱ、聖者って本当に存在するんだね。
それを改めて実感した。
今年もアンマ来るのか、
みんな来るし、1年に一回の同窓会みたいなもんだし
行ってみるかなという軽い気持ちで今年はいった。
何も期待せず
そんなでいったら、会場に入ったとたんに
その場の何ともいえない
癒しの空気に呑まれてしまった。
言葉ではとても表現できるもんではないけど
涙が溢れ出てきそうになる。
そして、いよいよアマチが来て、
今回はだいぶ離れたところからしか来るのが見られなかったけど
20~30mも離れて顔も表情もよくわからないのに
胸にず~んっと何かしら、響く、来るもの。
やっぱり言葉では表現できないけど、
愛の波動、強烈なエネルギーを放っているとしか言いようがない。
仏様は後光がさしていたというけど、
僕にはオーラは見えないけど、
こうゆうことなんだなということが実感できた。
この世界には存在するだけで
人の心を癒すことができる
すごい人がいるもんだ。
http://www.amma.jp/

死んだ後にも残るもの

人は人生でいろいろなものを欲して得ようとする。
立派な家、いい車、物質的なもの、人に勝つこと、
優越感、地位や名声、お金・・・。
そういったもの手に入れること幸せを得ようしてしまう。
しかし、そういったものを手に入れたところで
幸せになれるとは限らない。
そして、そういったものは手に入れたとしても
すべて、死ぬときに捨て去るしかない。
輪廻転生がないと考えるのなら、
そういったものを現世で追い求めて
幸せを求めるのもいいかもしれない。
輪廻転生があるとするなら、
死んだ後にも残るものは精神や魂の成長、
そして、魂のつながりしかないのではないだろうか。
人は精神的に成長することによって
価値観が変えることで、見る世界を一瞬にして変容させ、
幸せになることができる。
精神的な成長なくして、今世での幸せもない。
だから、僕は精神的に成長することや
魂の繋がりを持つことが
人生において最も大切なテーマの一つだと思う。

人と交流することはエネルギーの交流

人と話していると元気になることもあれば、落ち込むこともある。
ときには喧嘩になることもある。
人と人とが出会い話すことはエネルギーの交流なのだ。
混乱したエネルギーを持った人と出会えば、混乱しやすくなる。
その混乱に巻き込まれて、混乱すれば、混乱のエネルギーは増幅しあい
より激しく混乱することになる。
楽しいエネルギーを持った人と交流し、自分もそうしたものを持っていれば
お互いにそのエネルギーを増幅しあい、もっと楽しい良いエネルギーになる。
だから、自分がどんなエネルギーをもって、人と接するかはとても大切なのだ。
自分が交換したい、高めたいエネルギーになって人と接することがとても大切なのだ。

人を引き寄せるエネルギー

一昨日は友達と話していてとっても大切なことに気づかされた。自分が出会う人、身の回りの人は自分のエネルギーの反映だということだ。人はさまざまなエネルギーを持っている。一人の人間の中にもさまざまなタイプのエネルギーをもっている。
もし、自分が強いエネルギーをもっていたら、強いエネルギーの人に出会う。
もし、混乱のエネルギーをもっていたら、混乱のエネルギーの人に出会う。
もし、平和なエネルギーをもっていたら、平和な人に出会う。
もし、憂鬱なエネルギーをもっていたら、憂鬱な人に出会う。
もし、ネガティブなエネルギーをもっていたら、ネガティブな人に出会う。
もし、太陽のようなエネルギーをもっていたら、太陽のような人に出会う。
というように、自分のもっているエネルギーと同じ人に出会うのではないかということだ。だから、もし、混乱した人や人を振り回すような人、ネガティブな人に出会いたくなければ、そうしたエネルギーを自分から取り除いていけばいいのだ。
もし、ピースで穏やかな人に出会いたければ、自分がそんなエネルギーになればいい。この世界で出会う人はすべて自分の今のエネルギー状態の反映なのだと思う。
だから、自分が変われば世界は変わる。
自分が変わらなければいつまでも人生はよい方向には進まない。
自分が出会いたい、引き寄せたい人と同じエネルギーになろう☆

生きているって何だろう☆スウェットロッジでの体験

ヨセミテ国立公園
もう、5年も前のことになるがネイティブアメリカンの儀式でスウェットロッジなるものを日本のとある村で体験させてもらった。簡単に言うと浄化と祈りの儀式だ。
3~4メートルの小さなドームを作り、その中にたくさんの人間がうずくまるように入り、熱した溶岩に水をかけて、超高温サウナで酸欠状態になりながらもメディスンマン(シャーマン)を中心に大地のスピリットに感謝のお祈りをするものだ。
これは本当に酸欠で意識を失いそうになったが大地や自然を全身でダイレクトに感じる貴重な体験だった。
儀式が終わり、大自然の中の青空で晴れ晴れとした中に出たとき足もふらつき意識朦朧としてふらふらであったが一緒に祈りをした仲間たちと抱きあい、座り込み、大自然を感じた。そのとき、自然と涙が溢れ出てきた。
それは不思議な感覚だった。普通、涙を流すときは嬉しいときか悲しいときだ。しかし、そのときの感覚はそのどちらでもなかった。嬉しいわけでも悲しいわけでもない。
大自然を全身で感じて、生きていることの素晴らしさを感じ、魂が震え、大自然と共鳴しているような感覚だ。ネイティブの人々や昔の自然と共に暮らしていた人は大自然をこんなふうに感じながら生きていたのだろうなと感じた。
自然の脅威というものもあるが自然と共に生きることへの感謝の気持ちも自然に沸いてくるような本当に貴重な体験だった。本当に生きているということはこうゆうことなのかな。生きているって何なんだろう。

愛と慈しみの心とは? - ヴィパッサナー瞑想の体験

去年の暮れから今年にかけての年末年始ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに4年ぶりに参加した。時が経つのは本当に早いものだ。
ヴィパッサナー瞑想とは10日間、ジェスチャーを含めて一切のコミュニケーションをとらず、本も 読まず、文章も書かず、音楽も聴かず、ただひたすら瞑想を1日およそ10 時間をするコースだ。仏陀が悟りを啓いた瞑想だ。
仏陀は私たちが一般に知るような哲学や戒律を語っただけではなかった。このコースを受けて、実は仏陀が教えた最も大切で重要なことはこの瞑想法だったのだ。たいていの人にとって、戒律の「~してはいけない」などは煩悩があって、そんな簡単に守れるものではない。というより、不可能だろう。
しかし、仏陀はこの瞑想法によって、自然と無理なく、そうゆう人間、心に成るための心を浄化する方法を教えていたのだ。それはとても目が鱗が落ちるような驚きだった。仏陀がなぜ、仏陀と呼ばれ、2500年も偉大な人として名が残っているのがよくわかった。
こんなことをして、一体何の意味があるのかと普通は思ってしまうがそれは、私にとって、大変だが毎回必ず大きな実りを与えてくれる素晴らし いものだ。
今回は今までとはまた、違った大きな気づき。しかし、微かな体験があった。それは「愛と慈しみの心」とは何かということだ。よく、このコースの講話の中で「愛と慈しみに溢れた心で」というのが出てくる。
今回の経験をするまで、それがどんなことなのか自分が全く理解していなかったことがわかった。今もまだ、その片鱗に触れただけだが。10日間の瞑想中、ほんの一瞬の一回だけだったがその心を感じることができた。その瞬間、とても微かな感覚だが心の温かみと普段経験したことない幸福感、色んな人への心からの感謝の気持ちに包まれた。そのとき、初めて、「愛と慈しみの心」の本当の意味の片鱗を知ることができたと思った。
この経験をして思ったことはマザーテレサ、キング牧師、ガンジー、キリストなどの聖人と呼ばれている人たちは常人では考えられないようなとても大変なことをしているようで実は、苦労がありながらも、普通の人には想像もできないような至福の幸せの中に生きていたのかもしれないということだ。
一般に普通の人はそんな欲望を満たせずに禁欲的な生き方などできないし、したいとも思わないが実はその行き着く先はどんな世俗的な快楽よりも遥かに幸せな世界なのだということがわかった。とは言っても現世的な楽しみももっと味わいたいし、そんな修行は生涯かけてゆっくりしていくことだが。
性善説、性悪説というのがあるが瞑想を通して、心を浄化していくと性善説の意味がとてもよくわかった。そんな体験がなければ、どっちかはわからなかったし、この世界を見ていると、性悪説なのではないかさえ思ってしまうが実は人間の本性は善なのだ。
清く正しくなんて、生きていると一見損をしているように思えること、見えることもあるが、本当に正しい心をもってその道を進み、その先には物質的ではない、内面の真の幸せがあるのだ。ついついサボってしまうが日々、瞑想を続けていきたい。
参加費は完全なドネーション(寄付)なので、時間さえあれば誰でも参加できます。ぜひ一度参加してみてください。人生で一度くらい10日間しゃべらない体験をしてみるのも面白いですよ。
日本ヴィパッサナー協会 http://www.jp.dhamma.org/
京都のヴィパッサナーセンター・ダンマバーヌ
ダンマバーヌ