正しいか間違っているかではない第三の視点

正しいか間違っているかではない第三の視点

村上幹智雄 -ミチユウ-
村上幹智雄 -ミチユウ-

正しいか間違っているかではない第三の視点

人は視野やモノの考え方が広くなるほど、
本当に正しいこと
真理が理解できるようになってくる。

 

 

それと同時に何が正しく、
何が間違っているのか
わからなくなくなってくる。

 

 

みんながみんな真理に従って
生きれば、世界は平和で
もっと幸せな世界になるのだろうが
現実にはそうはいかない。

 

 

自分が正しいと強く思えば思うほど
それは自分自身の視野も
考え方も狭いことの裏返しだ。

 

 

正しいと思えば思うほど、
自分の周りに敵が増えていく。

 

 

本当は敵ではないのに
その人にとって敵に見えてくる。

 

 

自分が正しいと強く思う人ほど
相手の立場に立って考えたり、
相手を思いやる視点に欠けているのだと思う。

 

 

マハトマ・ガンジーはこんな言葉を残している。

 

「世界の不幸や誤解の四分の三は、
 敵の懐に入り、
 彼らの立場を理解したら消え去るであろう。」

 

世の中の多くの対立や争いの原因は
自分の視点でしか見ていない、
考えていないことだ。

 

 

自分の視点から正しかったとしても
相手の視点に立ってみたら
間違いということは多々ある。

 

 

自分が正しいと思っている限り
問題に苦しみ続けることになる。

 

 

 

子供にとって間違っていることが
親にとって正しいとことかもしれない。

 

親にとって間違っていることが
子供にとって正しいことかもしれない。

 

 

男性にとって間違っていることが
女性にとって正しいことかもしれない。

 

女性にとって間違っていることが
男性にとって正しいことかもしれない。

 

 

従業員にとって間違っていることが
経営者にとって正しいことかもしれない。

 

経営者にとって間違っていることが
従業員にとって正しいことかもしれない。

 

 

一市民にとって間違っていることが
国家の首相にとって正しいことかもしれない。

 

国家にとって間違っていることが
一市民にとって正しいことかもしれない。

 

 

何が正しいかは立場によって
大きく異なることは多々ある。

 

 

この世界には種々多様な価値観が存在する。

 

 

相手の立場を理解しようとする視点があれば
多くの争いはなくなる。

 

 

そして、自分の視点だけで観て、考え
人を敵視していると
怒りや憤り、悲しみを抱えて人生を
生きることになる。

 

 

それは苦しみの人生だ。

 

 

もし、相手の立場に立ってものごとを
考えられるようになったら
人の苦しみは半減する。

 

 

ただ、相手の立場になって考える、
理解することは
必ずしも共感すること、
同意することではない。

 

 

違う考えをもっていることを理解すればいい。

 

それができれば、
自分の中の怒りや憤り、
悲しみは半減する。

 

 

更にもっと、自分の心が広くなり、
真理を理解できるようになれば
相手を思いやったり、
導いたりすることができるだろう。

 

 

もし、スピリチュアルなことだけが
正しいと思っていたら。

 

もし、地球環境のことを考えることだけが
正しいと思っていたら。

 

菜食主義だけが
正しいと思っていたとしたら。

 

 

かつて、自分は半分
そんなようなところがあったように思う。

 

そうすると世の中は間違いだらけ、
敵だらけだ。

 

 

しかし、今はその考え方がだいぶ抜けた。

 

 

今、私は全ての中に意味を
見出そうという視点でものごとを
観るように意識している。

 

何が正しいか
間違っているかではない。

 

すべての物事に必ず
何らかの意味があるはずだと信じている。

 

例え、今の自分にそれが
理解できなかったとしても。

 

 

一年後、三年後、十年後、いつの日にか
理解できる時がくる。

 

 

すべての魂は、この地球上に生まれてきて
人間として、魂として成長、
進化するために生まれてきている
のだと私は考えている。

 

 

そのために、肉体を持った人間にとって
理不尽に思える、理解に苦しむことも
たくさん経験することになる。

 

 

でも、そうした今の自分の意識の次元では
理解できないことにも全て意味がある。

 

 

すべての魂はお互い
切磋琢磨しあい
成長、進化していく。

 

 

そういった視点でものごと
を見られる割合が増えるほど
日々を穏やかに平和に生きられる。

 

 

そして、今まで怒りや憤り、悲しみに
消耗していた自分のエネルギーを
純粋に良い方向に使うことができる。

 

 

怒りは強烈なエネルギーで
時に、現実を大きく変える力になる。

 

 

しかし、怒りから解放された時
それ以上のエネルギーが沸き上がってくる。

 

 

それは物事を良い方向に、
解決する方向に持っていく
積極的な強い情熱のエネルギーになる。

 

 

物事に対する視野を広げ
心を広く持てる人間になっていきたい。